少年ジャンプ創刊まで
少年ブック編集部の編集長の長野が異動し、少年ジャンプ編集部の初代編集長になったことで歴史がスタート。他にも少年ブック編集部からは中野祐介が副編集長待遇で異動、西村繁男と加藤恒夫は少年ブックとの掛け持ちで行った。同年に角南攻が集英社に入社し、少年ブック編集部に配属される。角南もまた『少年ジャンプ』の創刊に関わる。ただ少年ブック編集部も人材が余っているわけではなく、集英社自体も前年『セブンティーン』を創刊していたことで社内全体で人材不足が深刻化しており、編集者の確保が問題となった。
長野は苦肉の策として、集英社外のフリーの編集者を使うことを提案。応募した桜木三郎、遠崎史朗、村上(すぐに退社したため名前は不明)の3人すべてが編集助手として採用される。正規の編集者を雇う余裕がなかったことからもわかるとおり、労働条件は正社員と同じ仕事量でありながら、給与は諸手当込で3万円と不利なものであった。このことが後に労働争議の火種となる。面接をした中野は3人の能力に疑問を持ちながらも、不利な条件にも関わらず働いてくる3人に対して将来の社員登用も考えていたが、長野はあくまで臨時の採用と考えていた。採用後すぐに抜けた村上の代わりに山田和夫が編集助手に採用される。
非正規労働者による労働運動
前述のとおり、少年ジャンプ編集部は創刊時より編集助手を使っていた。これはWJ編集部に限ったことではなく、多くの編集部で非正規労働者を雇っていた。中には正社員と全く同じ仕事をするものいたが、給与や福利厚生は正社員のものより低待遇のものであった。正社員の労働組合は結成されていたが、非正規労働者のための組合はなかった。1969年頃、非正規雇用者の待遇改善を求める動きが高まって「集英社臨時労働者組合」が結成された。そのトップである初代委員長は遠崎であった。西村は遠崎と個人的に親しかったこともあり、長野から組合崩しの密命を受けて説得を試みるが失敗する。
組合運動が本格化すると、集英社は非正規雇用者の正規社員登用試験を組合の決起集会の日にぶつけることで、組合潰しは成功する。なお長野と西村によって少年ジャンプ編集部からは遠崎以外は組合加盟者はいなかった。正規社員登用試験へはジャンプ編集部からは5人受験し、桜木、山田、谷口忠男の3人が合格。一方で、遠崎は組合活動失敗によって自身の正社員登用の目がないと知ると、漫画原作者の道を志す。
生え抜き社員の登場
1970年4月に後藤広喜、中野和雄が集英社に入社し、WJ編集部に配属。正式にWJ編集部に新人が配属されたのは2人が初である(角南は少年ブック配属で掛け持ち)。同期入社であることから、2人はライバルとして編集長の地位を争っていく。後藤は『ドーベルマン刑事』などのシリアス方面で、中野は『キン肉マン』に代表されるギャグ方面で才能を開花させていく。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
少年ジャンプでは数々の名作品が生まれました。
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